目次
人が成長するのはどんな時?
人は居心地のいい環境では成長しません。
例えば以下のような場面を想像してみてください。
・上司のご機嫌を取りつつ空気も読みながら会社組織に溶け込む。
・思考を停止させ、奴隷サラリーマンとして組織の歯車となる。
・前例踏襲、失敗回避、上からの指示待ちを徹底する。
保身を第一として、長い物には巻かれるのは悪くありません。
組織に適応すれば、ある意味、居心地の良さを獲得できます。
御褒美として昇進できれば、少しは給与が上がります。
でも、自分を殺して自分の人生を犠牲にしてばかりだと、人生そのものが失敗になります。
小賢しい知恵や経験は身に付くかもしれませんが、人間的な成長は望めません。
年齢を重ねて何かしら肩書を得ても人間として中身が空虚、なんてケースはありませんか?
人から信頼され尊敬されるようにならなければ、心の安定を得ることはできないのではないでしょうか?
人間が、本質的な意味で成長するのはどんな時でしょうか?
不慣れな環境で不自由して、それを解決するために努力し障害を乗り越えた時ではないでしょうか。
出る杭にならない努力を継続しても成長はしません。
組織人を続けねばならない立場の人でも、なんらかの本質的努力をして人間的成長につなげねばなりません。
諦める必要はありません。
手段はあります。
例えば英語学習は、誰でもできる有効な手段です。
一生継続しても終わりがないほど奥深く、様々な気づきを与えてくれます。
日本語とは全く異なる言語構造であるがゆえに多くの日本人が苦手意識を持っている英語。
これを習得する旅は、困難を乗り越えていく過程そのものです。
自分の体験を振り返っても、間違いなく人間的成長につながります。
エンジニア職場での英語体験談:
私の仕事での英会話実践についてお話ししましょう。
私の勤める会社は、世界中で事業展開しているいわゆるグローバル企業です。
でも、日本国内でエンジニアと呼ばれる人が集まる部署は、英語が出来なくても不自由することはほとんどないのが実情です。
必然的に、みんな英語が苦手です。
学校卒業後、何も勉強していないんですから当然ですよね。
そんな職場に、ネイティブのアメリカ人青年が中途入社して来ました。
金髪の青い目、そして、190センチメートルを超える長身。
かつて交換留学生として日本に来日し、それからずっと日本に住み着いたのだそうです。
でも、日本語でのコミュニケーションはかなりお粗末なレベルでした。
そんな彼は、偶然、私のいる部署の私と同じグループに配属されたのです。
職場での彼を見る目は、温かいものばかりではありませんでした。
理由は下記の通りです。
・業界の常識も知らないから新人と同じレベルだし、教育に時間がかかる。
・日本語に不自由しているので、言葉の壁が厚く、肝心のコミュニケーションが不安。
・日本人特有の忖度や空気を読むことが期待できない。
・組織に馴染めないのでは?
・普通の新人より手間がかかるうえ、誤解による失敗などリスクが大きい。
・外国人は辞める確率が高く、親身に面倒を見ても報われないかも・・
・・・
無知や偏見も、もちろんあったでしょう。
「目先の自分の得になりそうな要素がまったく見当たらない」
こんな感情を多かれ少なかれ、みんな抱いていたと思います。
私も、こういう状況は初めてで、どのように対処するのが正しいか分かりませんでした。
それでも、せっかく席が近くなったんだし、同じ仲間として協力し合えるような関係構築に努めることにしました。
コミュニケーションについては、私との間では英語だけしゃべるよう彼にお願いしました。
英語の方が彼の真意を掴みやすいし、自分の英語力向上にも寄与すると考えたからです。
英語でコミュニケーションしながら仕事をするなんて、私にとっては初めての体験です。
TOEICをはじめ、様々な英語素材に触れてきたとはいえ、アウトプットは未知の世界に近い。
最初のうちは、英語での想定問答を事前に準備してから彼に話しかけていました。
これはうまく行きました。
こちらの言うことが伝わらないときは、別の表現に言い換えたり、彼の言ってることがよく分からないときは、「君の真意はこういうことかな?」と都度確認して補いました。
日本人ばかりの環境ということもあり、彼は、丁寧でゆっくりと英語をしゃべるよう心がけてくれました。
重低音で、腹の底から声を出す分かり易い発音。
TOEICのリスニング素材が常にそばにいるようなものです。
仕事をしてお金をもらいながら英語を勉強できるのは、かなりオトクだと思います。
こうして毎日アウトプットをして、「伝わった」という小さな成功体験を積み重ねることで、使える英語表現がどんどん増えていきました。
自然と口にできる英語が多くなるにつれ、英語ゆえの不自由さを感じることは少なくなっていきました。
TOEICの問題集や英字新聞で見かけた表現はすべて通用することも確認できました。
つまり、自分がやってきた勉強は正しかったということです。
新人とはいえ物おじせず堂々と自分の考えを述べる彼に対して、特に違和感は感じませんでした。
私自身が、場の空気を読まず、忖度をしないタイプの人間だからでしょうか。
全体として彼の態度は、とても清々しく思えました。
ただし、同じエンジニアとして協力しながら様々な問題を解決するわけですから、色々とすったもんだもありました。
お互い誤解して険悪な雰囲気になったこともありましたが、それでも、コミュニケーションを諦めることはありませんでした。
最終的に、彼は3年半後に会社を辞めることになりました。
送別会で私に言ってくれた次の言葉は一生忘れないでしょう。
「あなたの素晴らしい英語は、私の会社生活にとって、無くてはならないものだった・・」
ネイティブのアメリカ人にこんなことを言われるのはとても名誉なことではないでしょうか・・・?
面倒ごとから逃げないことが大切:
「普通の人」から見れば、私は物好きな部類に属するのかもしれません。
人のやらないこと、人がやりたがらないことを、あえてやろうとしますから。
確かに、面倒臭いこと、先が見通せないもの、未経験のものに取り組むことに、あまり抵抗がないと思います。
それゆえ、人一倍遠回りをして、失敗もして、損もしているかもしれません。
前述のアメリカ人青年との交流も、私の物好きさゆえ実現したのだと言えます。
外国人ばかりの職場ならともかく、ほとんど日本人ばかりの職場でわざわざ英語を話すなんて、普通ならあり得ません。
事実、私以外の日本人は、彼(アメリカ人)との会話でほとんど日本語しか使いませんでしたから。
その方が楽だし。
「ここは日本だ。日本国内の職場だ。ここで仕事をするなら、外国人でも日本語を話すべきだ」
こういう思いが皆にありました。
日本語を使って当然の状況下で、私はあえて英語しか使いませんでした。
彼との会話で不自由さと不慣れを感じたのは確かですが、その負の感覚が薄れるとともに、自分の中に変化が起こりました。
英語をツールとして使いこなせるという感覚が生まれたのです。
インプットばかりに励んでいた頃とは異なる感覚。
自分で言うのもなんですが、成長という言葉で表現して良いと思います。
アウトプットでもインプットでも、英語学習は何らかの成長につながります。
今まで出来なかったことが出来るようになったら、それは成長です。
そして言語習得の旅に終わりはありません。
どうせなら、楽しみながら成長する癖を身に付けたいものです。
以上